【政治を読む】TVメディアは政治を歪め国民に信じ込ませてきた

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新井将敬の死は石原慎太郎の陰謀。新井将敬の死 黒いシール事件(有罪判決)、石原の指示・・・

01 2009

新井将敬の死 石原慎太郎の陰謀、

決して忘れてはいけない。

黒いシール事件(石原側有罪判決)
差別主義者・石原慎太郎の正体


『最後の言葉だけは聞いてください。私は潔白です』

と発言した翌日、新井将敬氏自殺か他殺かには諸説があり 石原の指示か


1968年7月7日の第8回参議院議員通常選挙に全国区に自民党公認で立候補して初当選した石原慎太郎は、
「本道を歩みたい」との理由から1972年に任期を2年残して辞任。

その年の12月10日執行の第33回衆議院議員総選挙で、
当時の自宅のある東京都大田区を地盤とする東京2区から立候補して、鞍替え初当選。

1975年に東京都知事選挙に立候補するため辞職するが、落選。
その後、1976年12月5日執行の第34回衆議院議員総選挙で復活当選し、以降3回連続でトップ当選。

当該選挙でもトップ当選しているが当選後、何者かが対立候補のポスターにシールを貼る選挙違反行為をしたのではないかという問題が持ち上がった。

このとき石原慎太郎と同じ選挙区に同党公認で新井将敬が立候補したが落選した。
そしてこの選挙中、何者かが新井の選挙ポスターに「1966年に北朝鮮から帰化」というシールを貼るという事件が起こった。

それを指揮していたのは石原の公設第一秘書であることが判明した。
この公設第一秘書は大手ゼネコン鹿島建設の社員であったが、休職扱いで出向してきていた。

第一公設秘書が指揮したとあれば、
当然公職立候補者である石原の指示があったかどうかが疑われる。結果として、

これは石原陣営が対立候補に選挙違反をした事件として、世間に知れ渡ることとなった。

なお、事件はポスターに貼られたものであることから
公職選挙法違反事件であり石原の関与も問われたが、
公設第一秘書栗原俊記が逮捕されたのみで石原自身に捜査が及ぶことはなかった。


なお、新井は同じ選挙区で1986年7月6日執行の第38回衆議院議員総選挙に出馬し当選している。

1998年2月、衆議院議院運営委員会で逮捕許諾決議が可決されて本会議で逮捕許諾決議が採決される直前に

『最後の言葉だけは聞いてください。私は潔白です』と発言した翌日、
東京都港区のホテルで首を吊った死体として発見された。

部屋にはウイスキーの空き瓶が沢山落ちていたという。
自殺か他殺かには諸説があり、いまだ明らかになっていない。
夫人宛と亀井静香宛ての遺書が残されていたとの説もある。

社会的批判
新井が黒シールを貼られた事にいち早く抗議したのは勧誘した渡辺である。
発覚後は「彼は日本人だ! 日本人が立候補して何が悪い!」とインタビュアーの前で怒りをぶちまけた。
また、民族派右翼の大物として知られた野村秋介もこの件で石原を批判した一人であった。
石原は「秘書が勝手にやった事」とした上で、

「日本人は在日であるか否かを知る権利がある!」と正当性を主張したが、
保守系メディアも『週刊新潮』を別にして、
選挙法違反であることもあり明確な擁護論を展開しなかった。

さらに、当時石原が派閥の領袖であったことから党内の信用も失墜するなど
社会的非難を浴びたため、石原は新井に謝罪した。

また、このことで、石原は、在日朝鮮人らから「在日コリアン排撃主義者」として非難されることとなり、憎悪の対象となった。

新井将敬が黒シールを貼られた理由

同じ選挙区に立候補していた新井は東京大学を卒業後、新日本製鐵勤務を経て大蔵省に入省。
キャリアとして出世街道を驀進していたが、

渡辺美智雄の誘いを受ける形で辞職し第37回衆議院議員総選挙に立候補した。

新井は元々は在日朝鮮人で、日韓基本条約で大韓民国と関係を結んだ翌年、
1966年に日本国国籍を取得している。

この年に帰化した事は紛れもない事実である。
しかし、
黒シールには「北朝鮮国籍」と書かれていた。

だが、正確には朝鮮籍である。朝鮮籍は便宜上の籍であり、
正確には登録法制上の記号と見るべきものであり、

また朝鮮半島ではなく日本国内(大阪)出身であることから、黒シールにあるような北朝鮮からの帰化ではない。

石原 慎太郎、オウム真理教への関与疑惑

1989年(平成元年)8月に、東京都から「宗教法人オウム真理教」の認定を得ている。

東京都は頑なに認定を拒否し続けていたのにもかかわらずである。

石原慎太郎の圧力でオウム真理教は宗教法人になった。

宗教法人を隠れ蓑に地下鉄サリン事件が起きる


オウムのクーデター成功の暁には石原慎太郎氏を首相に想定していたとの元オウム官房長氏の 爆弾暴露証言

検察当局との「司法取引」(=裏取引)により、公職即ち国会議員を辞職することで、

この話は公表されずに闇に葬り去られたのです。


【1997年】石原慎太郎、土下座写真



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水俣病視察に訪れ「これを書いたのはIQが低い人たちでしょう」「ああいう人ってのは人格あるのかね」
「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」


【1997年】
石原慎太郎、土下座写真

環境庁長官だった頃、水俣病患者の直訴文を「IQの低い人が書いたような字だ」と言い放ち。
石原はこの発言について大阪府豊中市の知的障害者団体から抗議された。

人権に鈍感な政治家というより、意識的に人権を軽視する発言を繰り返しているのが石原慎太郎である。

有名な身体障害者に対する差別発言や「ババァ発言」は、「世界に晒す日本の恥」としかいいようのないものである。人権蹂躙(じゅうりん)の暴言を放置するわけにはいかない。

石原慎太郎が自民党政権で環境庁長官だったとき。
水俣病患者の直訴文に「IQの低い人が書いたような字だ」と言い放ち、
患者さんの中に「偽患者もいる」と発言し、
これを追及されて、胎児性水俣病の患者さんに土下座している写真。

しかし、それが本当に謝罪の気持ちがあったわけではなかったのは、
その後、都知事になってから府中療育センターの重度の人達を、公表されるのを承知の上で、
都知事という公人として、記者会見の場で、「ああいう人って人格あるのかね」と発言した証明ではないか。


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